【OXYMORON】

悠々として急げ ※このブログはプロモーションを含みます

悲しい気分でジョーク

北野武の「悲しい気分でジョーク」という映画がある。

 

どんなに辛いことがあっても、お笑い芸人は常に相手を笑わせる職業だ。

そんな印象のある映画だ。

 

精神疾患者の私にとって、日々の訃報はかなりつらいものがある。

 

この病気を理解してもらうことはかなり難しい。

家族でさえ、それは同じだと思う。

正直、ニュースを傍らで見ている家族が

訃報をどうにか事故じゃないかと思おうとしている。

 

この病気になって、そういうことは発作的にも何回か経験しているので

例えばそれが「死神に呼ばれる」ような感覚がわかるから

できれば触れたくないというのが本音。

 

報道で紹介されるところに連絡したけど全然繋がらない。

近所の精神科は1か月待ち。

辛い時にこれは正直キツかった。

 

どうにかすぐ見てもらえる精神科にたどりついた。

どこかに救いの手はある。諦めないでほしい。

 

私が救われた言葉は

「人間、生まれた時から死ぬのは決まってる。

とりあえずそれまで生きてみたら?」

ってことだった。

 

哀しい気分の時もジョークをいうような

性格の私なんだけど、今はちょっと休むよ。

 

 

 

 

 

「ドライブ・マイ・カー」に出てくる「山賀」の謎

今日、「ドライブ・マイ・カー」の

凱旋舞台挨拶を観にいくことができた。

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この映画を見るのは3回目。

その中で是非とも濱口監督に聞いてみたい

個人的な質問がある。

 

・「山賀」とは何者なのか?

原作に出てこない、家福の妻、

音に脚本が「降りてくる」シーン。

主人公の女子高生が「山賀」という

同級生の家に空き巣に入る。

この「山賀」、珍しい苗字だが、

実は私の母の旧姓である。

新潟の以前の西蒲原郡西蒲区)にある

地域由来らしい苗字なのだが

なぜこの珍しい苗字が出てきたのか。

 

監督の出身地、神奈川県にも

多い苗字らしいので、同級生?

 

家福も十分珍しい苗字なのだが、

こちらは原作にあった。

 

冒頭から、センシティブなシーンで

連呼される母の旧姓。

聞けるものならその真相、聞いてみたいなあ。

 

ドライブ・マイ・カー インターナショナル版

 

田舎の民宿に夢を馳せる。

仕事を辞めて、しばらくのんびりしようと思いながら

ふと10年やれなかった旅行のことを想像している。

 

Uターン就職して、地域おこし隊で3年働いて

民宿を始めた知人のところへ行くことだ。

山奥で山菜をとるのが私の夢だった。

 

さいころから生き物や植物が好きで

牧野富太郎やファーブルや藤井旭の星の本を読んで

夏休みにいく父の実家で山遊びに興じた。

 

都会育ちの私にとっては映画「おもいでぽろぽろ」みたいな

田舎にあこがれる都会の人、みたいなことなんだろうけど、

実際都会を離れて暮らせるのか、といったら疑問である。

 

人間関係でいつもつまずいてしまう私に

閉ざされた世帯の中で暮らせるか?

セロトニン不足の障害は 冬の長い雪国には難しいかも。

 

Uターンした彼女は 「仕事がなくなったら民宿手伝って」

なんて言ってくれたのだけど 覚えているだろうか。

 

実は小さい夢があった。

父が若いころに不動産屋に騙されて買った土地があって

そこに山小屋でも建てて 植物育てて絵をかいて

茶店か民宿でもしてみたかった。

その時は自分ひとりで。

主人がその夢に一緒にはいないだろうと。

 

実際、民宿に泊まりに行ったら、その夢は現実味を帯びるかも。

 

一緒に鉄旅もしてみたいと、ルートを考えるとワクワクしてしまう。

ローカルな鉄道旅、その体力は私にあるかな。

少しずつでも、近い鉄旅の夢に近づくため、

体力つくりしようかなあ。

 

 

 

ウィル・スミス事件と最近のアカデミー賞に関して

今年の米アカデミー賞については

期待の「ドライブ・マイ・カー」が国際外国語映画賞受賞したり

主演男優賞のウィル・スミスが

プレゼンテーターのクリス・ロックを平手打ちしたり

いろんな意味で注目されたけど

 

「コーダ あいのうた」が4部門受賞したのは

やはり米国のアカデミー賞が変わってきたんだと思うし

だから「ドライブ・マイ・カー」が食い込めたんだと思う。

 

平手打ちされたクリス・ロックはかつて「白すぎるオスカー」なんて

白人ばかりが評価されるアカデミー賞を痛烈なブラックジョークとばしたし

ウィル・スミスだって黒人のアカデミー賞への活躍を後押ししてた一人だ

 

その二人が公の場であんなことになったから

日本人の私はうわーってなってしまったけど

(実際生放送の時は 一度スタジオに戻されたから

何が起こったか全く分からなかった)

アメリカの文化圏にいたことないから

痛烈なジョークや平手うちがアメリカ人にどう評価されるのなんて

やっぱりアメリカの中のことだからよくわからないよね

 

ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」が

アカデミー賞とったときは、オタクな私は大喜びだったけど

 

ここ数年は人種に限らず多様性の認識が進み(実は進んでないのかも)

女性監督が三人目の受賞とか 障がい者を扱った「コーダ~」が

受賞したり 「パラサイト」の次の年に「ドライブ・マイ・カー」が

外国語映画賞受賞するのも ちょっと予定調和すら感じてしまう

 

ともあれ「コーダ~」は体調のこともあり 楽しみな映画だったけど

未見なので 早く配信などでみられるといいなあと思うのです

 

外に出るのが難しいけど 映画をたくさん見たい人には

配信はほんとにありがたいです お金払っても観たい

それが映画業界をも潤してほしいと思う今日この頃

 

「ドライブ・マイ・カー」はU-NEXTで配信されてますので

ぜひ30日トライアルをお試しくださいね!

 

今日で退職しました。

今日で7年務めた会社を退職した。

正しくは1年ほど休職していたし、4年は非正規だったけど。

 

2回休職しても、戻るのに必死だった。

そこには一緒に仕事してきた仲間がいると信じていたから。

しかし、休職明けに景色は一変した。

コロナ過の影響もあったかもしれない。

会社の雰囲気が殺伐としていた。

知っている上司は次々と定年だったし、会社の変化の時だったのかも。

 

ともかく、もう私の戻りたい会社ではなかったんだと思う。

 

それでも身体が動かなくなった時は悔しくて泣いた。

社会的地位を失う、という気持ちだった。

主人に対して、収入のことでずっと卑下されたから。

その虚無感は半端なかった。

 

退職に際しては、会社と直接何かできる状態ではなかったから

代理人をはさんだ。お金はかかるけど、正解だった。

今の状態で直接電話で何かできなかった。

電話が怖くなってしまった。いまだに人とあまり話せない。

 

会社には、それでも感謝しかないのだ。

伝えることはできないけど、会社の人は好きだったし。

追い詰められたとしても、会社の雰囲気は好きだった。

 

また新しいことに挑戦しようと思うけど

とりあえず、身体の回復を第一に。無理なく。

 

花粉症良くなったら、行きたかった場所へいきたいなあ。

そして季節は巡る

やっと退職を決めた。

決めたものの、歩けない状態はまだ続いているし

頓服を飲まないと起き上がったり 家族と話すのもつらい日が多い

 

まったく精神と肉体はこんなにつながっているのかと

あきれてしまうほどだ

 

数十年前にも ショックで声が出なくなり

数日話せないことがあった

めまいで這うような生活をしたこともあった

その時折に検査をしたけれど 身体的には異常なし

 

今回の歩けなかったり 声が出せなくなるのは

転換性障害とかいうそうだ

昔はヒステリーとか言われていたらしい

要はもう無理!を身体が訴えているのだ

 

私の場合は 会社にいってお金を稼がなくてはというのと

会社にいけば無視されたり 嫌がらせをうけるから行きたくない

いっても役に立たない、というのが

理性を超えてしまったのだろう

 

退職を代理人に頼んだのは正解だった

会社からの連絡を代理人からもらうだけで

症状が悪くなった 数日寝込んでしまった

毎日のように 死にたいとの戦いになって頓服を飲んだ

 

毎日眠剤を飲まないと眠れないけど

以前のようにリアルな悪夢を見るようになって

眠剤を飲むのもためらわれた

大抵は会社の夢だった 寂しくて泣きながら起きたこともあった

 

春の三寒四温や気圧の変化にも苦しめられている

薬に躍らせれているような気分になる

 

SNSにしがみついているような気分がした

しばらくデジタルデトックスしたいなあと思った

 

庭に出て植物の世話をしたり メダカの世話をしたり

できる家事をやってみた

花粉症もひどいけど少しだけ散歩もできた

 

少しずつできることは増えている

 

きっと退職が完了するまでは まだつらい日々は続くのだろう

それでも少しずつ 季節は巡っていく

 

 

 

ゆっくり休んだことがない、のは私だけか?

ゆっくり休む。

今自分が一番できないことだ。

今までも一番できないことだった。

 

金銭的にも 時間的にも いつも追われていた。

病気になっても、横になっていることにすら罪悪感を覚え

身体が動けば何かしらの家事をやってしまう。

 

でも、ちょっと考えてみた。

ひょっとして会社で嘱託なんかで残る人たち

金銭的な問題ではなくて

ゆっくり休むのが怖いのかもしれない、と。

 

働いて働いて、たまに有給でお休みするくらいが

ちょうどいいと思い込んでいる。

2回目の定年退職が怖い。

 

私は、実家が自営業でそんな人たちをたくさん見てきた気がする。

男性は大抵、会社を離れると友達がいない。

同期で集まっても、お金があっても、社会とコネクトできない。

だから役員以上の人たち専用の転職サイトがあるらしい。

どこかの相談役とかになる、そういう専門の転職サイトが。

 

でも、それ以外の人たちは果たして家にいられるか?

じきに老人ホームでうまくやっていけるのか?

組織から離れると、とたんにひきこもってしまうのでは?

 

何か始められるひとがいればいいけど、身体が効けばいいけど

残りの人生、ほんとにのんびりできるのか?

 

精神疾患になってから、自分はあとどのくらい勉強して

楽しめる時間が残っているか、ってよく考えた。

 

身体がいうこときかないなら、ゆっくり休めるかとしたら

そんなことはないし、精神疾患のつらいところは

身体すら動かなくなること、脳が働かなくなること。

 

ゆっくり休め、果たしてあなたはできますか?