最近ぼんやりと、自分の活動限界について考える。
実は私は、精神を病んでしまい、1年ほど休職していた。
今年の5月あたりから、体調は良くなっていたので
医師の勧めもあってリワークプログラムを活用し
リハビリをしてから復帰したいと何度か会社に連絡をした。
連絡と言っても、よく話を聞いてくれた人事部長が異動してしまい
電話がしずらかったので、手紙にしていた。
しかし、何の連絡も会社からは来なかった。
会社が連絡を寄越して、面談をしたのは
私の休職満了日の1ヶ月前だった。
当然圧力面接のような感じで
私は復職できないと言われた。
すぐに知り合いの弁護士に相談し、
労働基準監督署に相談した。
主治医に相談し、復職可の診断書ももらう事ができた。
(※無理に依頼して書いてもらったのではなく、
リワーク可から復職については短時間から可能との判断があった)
次の週、会社には労基署からの助言指導の書類と
復職可の診断書が届いた。
それから1週間で、事態は真逆になった。
休職期間を延長してお試し出勤を1ヶ月したのちに
復職していいということになった。
助言指導の申し立てをするために
労基署に行って、いろんな課の人と話した。
私のイメージと反して、労基署の人はものすごく親身だった。
それで、原稿を添削してもらい、
1週間で私は助言指導の申立書を作成し、提出した。
会社に戻りたかった理由は、もちろん金銭的なものもあったけど
もしこの先、会社の誰かがこんな目にあったら
ちゃんと反論できるという前例になりたかった。
私は4年前パートから正社員に上げてもらった。
出向社員ばかりでプロパー社員の少ない会社だった。
会社の、一緒に仕事をしてきた人たちにまた会いたかった。
変な理由かもしれないけれど。
復職するために頑張ってきたのを無駄にしたくなかった。
復職したけれど、同じ班の人たちの態度は冷ややかで
なかなか仕事をさせてもらえない状況。
だけど、戻ってきたことを喜んでくれる人たちもたくさんいる。
私はともかく自分を大事に、無理をしない、
体調を整えて、考えを切り替える、
いわば「考えない練習」と「気にしない練習」をしに
会社に行くようになった。
リワークができなかったから、
リワークの本を数冊買って、自分で実践し始めた。
考え癖をきりかえたり、リラックスする方法を考えて実践した。
そんな中、果たして自分はいつまで会社にいるのか
自分の本当にやりたいことは何だろうと考えるようになった。
子どもの手は離れ始めているし、
自分の人生と考えて、気力体力、あとどのくらい…
やりたいことはいくつかあるのだ。
それは先に伸ばしていいのか?
私の勝手な見解で申し訳ないが
瀬戸内寂聴氏も、晩年、死の淵に立った時は
やはり考え方もナーバスになっていったように感じた。
あんなに集中して描ける人が
あんなに明るく気さくな人が。
それから、嘱託の社員さんが軒並み老けていた。
定年近い社員さんも仕事のミスが目立ち
精細さを失いつつあった。
私は会社員にはつくづく向いていないし、
病気のこともあるので
定年までいられるかわからないし
嘱託になってまで会社にしがみつこうとは思わない。
嘱託で仕事している人は、仕事しかないのだ。
私は飲食店の娘なので、いろいろな人とあって来たから
人の老いについても色々思うところがあった。
会社の役員だった人が仕事がなくなった途端に
離婚されたり、力がなくなり病気で亡くなったり
そんなのをたくさん見てきた。
私は会社員としてではなく、一個の人間としていたい。
一個の人間として表現をしていきたい。
最近、ますますそんな思いが強くなってきた。
子どもが独り立ちしたら、と思っていた夢がある。
それをピックアップして、
体力や気力の充実しているうちにやってしまおう。
最近はそう思い出している。